至るまでのルーツ
今回のブログはルーツ(始まり)について。
私が今まで介護の道を歩んできた過程を綴っていきます。
工業高校に通っていた私は「働きたくない!」という甘ったるい考えのもと、福祉系の大学へ進むこととなります。
理由は「(自分の)おじいちゃん・おばあちゃんが好きだったから、将来的にその道へ進もうかな・・・」
ぐらいでした。
そして大学。
ろくに学校にも行かずバイトしながら遊びつくす日々。友達はたくさんできましたが楽しいだけでは通用しないのも当時はわからず。
先生が教室にいない時を見計らって、出席簿に〇をつけ退室するというミッションをクリアしていました。
(他の生徒はドン引きしていたでしょう)
そしてあっという間に大学4年生。
無事に卒業はできるものの、
「すぐに就職しないで、公務員試験を受ける」
という無計画な考えが生まれ、警察・市役所・図書館職員・・・等の試験にチャレンジ。
見事、全て玉砕。3か月ほどいわゆるニート状態になりました。
そして色々ご縁があり、
平成19年9月1日
㈱善世会 デイサービスセンター高舘山温泉へパートで入社することとなります。
ここから私の介護歴がスタートします。
まずは今でも前線で大変ご活躍されている・・・
崎野社長
↑キムタク風に撮っていますが身長はあまりというか、全然高くありません。
※出演許可は頂いております。
パートの私の給料はたった
6万円
でしたがそれに見合わず熱い考えで指導して頂きました。
「今、給料上げるから!今上がるから!」
といつも気を使って頂いていたものの毎月の給与明細は変わらず。
「いつになったら上がるんだろう?」と愚痴をこぼしていました。
でも・・・今、自分で経営しててわかりました。大変ですよねゴメンナサイ。
当時、何も知らない私はめちゃくちゃ怒られた記憶があります。
利用者のことを「さん」付けで呼ばなかった私に・・・
「さん付けで呼べ!そったこともわがらねーのが!」
今となっては当たり前ですが、
こんな感じのパリピ野郎はいつも怒られていました。
↑24才くらい。
その中でも自分でも身に染みているのが
楽しく仕事をする。
日中は怒られたりミスしたりしていても、帰りは全員で
「ジュースじゃんけん」
とんねるずの男気じゃんけん風
立場関係なく、じゃんけんで負けた職員が全員分おごるというゲームが日課となっていました。
その時ははみんな笑顔で会社から帰った記憶が強く残っています。
私もがんばり?もあって一年後、社長室へ呼ばれ・・・。
「来月から社会保険かけない時間で8時間パートで働かないか?」
と言われ
正社員じゃないんかーい!
※その後、無事に正社員になれました。
って今ならではの笑い話もあります。
仕事のこだわりは半端なく、利用者のことを「お客さん」と呼び、
常に楽しませること(エンターテイメント)
が軸にある方です。
実は津軽三味線を始めたきっかけも、デイサービスの年末行事である「お楽しみ会」
私自身も負けず嫌いで一ヶ月の猛練習で披露したのを今でも覚えています。
その時、披露した後の利用者の顔は今でも忘れません。
至るまでのルーツ第一弾はここまで。
二弾目は正社員になったその後を綴っていければと思います。